「楽園の鳥」+「夢見る水の王国」メモ

松永洋介が作成した、寮美千子の長編小説『楽園の鳥 ―カルカッタ幻想曲―』(講談社2004)と、その作中ファンタジー『夢見る水の王国』(上下、角川書店2009)についてのメモ。作中のガンジス神話は『天からおりてきた河 インド・ガンジス神話』として絵本化(山田博之・画、長崎出版2013)。

『夢見る水の王国』公明新聞に書評掲載

  • 公明新聞の書評。
     村上龍の初期の傑作『コインロッカー・ベイビーズ』がハリウッドで映画化され、来年公開されるという。コインロッカーに捨てられた子供たちが成人してから、自分たちを捨てた母親を探して復讐するという話だったが、あれから三十年、育児放棄は社会に蔓延し、親殺しも今ではありふれた事件の一つにすぎない。『コインロッカー・ベイビーズ』が予感していたような社会が現実になってしまったのだ。
     寮美千子氏の泉鏡花賞受賞後第一作となる『夢見る水の王国』は、一見すると、『コインロッカー・ベイビーズ』の血腥い世界とは対極の繊細で美しいファンタジーのように見える。
     ヒロインのマミコは新進オペラ歌手で、故郷の海辺の町でデビュー・コンサートをおこなうためにもどってくる。町はずれには祖父、香月光介と少女時代をすごした別荘がそのまま残っており、郵便配達員は親子二代で親切にしてくれる。母の美沙は世界的な写真家で、誕生日には必ず外国からプレゼントを贈ってくれる。
     きれいなものずくめだが、ちょっと引いて見ると、親子二代の育児放棄という構図が見えてくる。祖父は若い頃は仕事中毒の会計士で、妻を亡くすと、幼かった美沙を全寮制の学校に預けてしまう。成人した美沙はコピーライターになるが、独身のままマミコを産み、育児放棄した父親に復讐するかのように、赤ん坊のマミコを押しつけ、自分は写真の仕事で海外を飛びまわる生活をはじめる。
     赤ん坊をコインロッカーに捨てるというようなひどいことをした親なら公然と憎めるが、きれいなものずくめの世界では憎しみは内攻せざるをえない。マミコは悪魔の童子マコ(魔子=真子)とミコに分裂し、何重にも入れ子になった幻想の世界をまたにかけた追跡劇がはじまる。甘口のファンタジーのようでも、この小説には現代の病理が埋めこまれているのである。
    加藤弘一「現代の病理が埋めこまれたファンタジー小説」(寮美千子夢見る水の王国』書評、公明新聞、2009年8月10日)※書影あり
    ここに書いてある「きれいなものずくめの世界では憎しみは内攻せざるをえない」というのはまさにその通りで、そこらへんの困難をどう突破するかが、この世界におけるサバイバルの鍵だろう。本書はその道程を描いている。