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★★★★★ 現実を描ききると、本物のファンタジーになる, 2004/11/26
レビュアー: usagito (プロフィールを見る) 神奈川県 Japan
この本はすごい。現実を赤裸々に描ききることで、目もくらむような異世界が立ち上がってくる。これこそが幻想文学だ。やわなファンタジー好きには毒だろう。
この小説には、さまざまな要素が含まれている(現実がそうであるように)。食べもの、乗りもの、祭り、日常、旅人、土地の人……あらゆる描写がてんこ盛りだ。下北沢からガンジス河口まで、舞台となる地を訪れた人なら、その味・音・空気を、まざまざと思い出すだろう。訪れたことのない人の心にも、風景が映像として立ち現れてくるだろう。そのうえ、恋愛、登山、泥棒、ピアノ、妄想、共依存、ドメスティック・バイオレンス、現地の神話に、作中作のファンタジーまで入って、まさに“全部入り”の小説だ。しかも、それらすべての要素が破綻なく融合し、一体化している。
次から次に描かれる感情と風景は、圧倒的な描写密度と深みを兼ね備えているのに、文章は平易で明解。文字も読みやすいので、どんどん読み進むことができる。いや、うっかり読んでしまうのだ……心の準備ができないうちに。
読者は、予想もしない強さで心を揺さぶられて驚くだろう。処理しきれない、無視することもできない、不思議な衝撃を心の深いところに受けたとき、たいがいの人は反発を覚えるに違いない。急いで手近なレッテルを貼って、済んだことにする人もいれば、怒りのあまり作品を罵倒する人もいるだろう。気持ちはわかる。でも、それは違う。
たとえば、映画『ブレードランナー』の衝撃が、美術や音響や役者や筋立てといった、分節化された細部の良し悪しに回収され得ないように、『楽園の鳥』の衝撃は、統合された“旅行体験”の巨きさに由来する。あまりに巨きく深いため、批評によって全体像が描き出されるには、まだしばらく時間がかかるだろう。そして、その時においてもなお、この作品の与える衝撃が消え去ることはないだろう。
『ブレードランナー』は、カルト映画呼ばわりされていたが、アメリカでの評価が輸入された時点で、手のひらを返した評論家がいたと聞く。この小説はどうなるか。職業評論家が現時点で何を書くか、見ものだ。
『楽園の鳥』は、屹立する巨大な作品だ。どんな角度、どんな細部から見ても、世界の痛ましい現実と、その美しい素顔を浮かび上がらせる。作中で語られるヒマラヤのように、目撃した者の心をいつまでも揺さぶりつづける。「なにしろ巨きい。ひと晩寝て、また見ても、やっぱり巨きいと思う。いつまでたっても、その巨きさに慣れないんだ。あの驚きは、いまも、ぼくのなかから消えない」(p.87)
できるだけ多くの人が、この美しい世界を旅して、心を揺さぶられますように。