「楽園の鳥」+「夢見る水の王国」メモ

松永洋介が作成した、寮美千子の長編小説『楽園の鳥 ―カルカッタ幻想曲―』(講談社2004)と、その作中ファンタジー『夢見る水の王国』(上下、角川書店2009)についてのメモ。作中のガンジス神話は『天からおりてきた河 インド・ガンジス神話』として絵本化(山田博之・画、長崎出版2013)。

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    一冊で何度でも楽しめる多面体小説 usagito 2004/11/30 ★★★★★

    楽園の鳥』はふつうの小説である。
    ただし、驚くべき特徴があって、その一つは、「ふつうに読める」ことだ。思いがけないほど、素直できれいな日本語だ。(このまま機械翻訳に通しても、文意はほとんど損なわれないのではないか?)風景描写も感情描写も明確。何を言ってるのか分からない箇所は、ない。だから、スポーツ・ドリンクでも飲むように、するすると喉を通る。
    そのスムーズさが驚きだというのは、文章を読むことで眼前に再生される世界の密度と現実感が半端じゃないからだ。小説内のできごとが、非常識なまでのリアリティでページの中から湧き出して、読み手の心に迫ってくる。物語と自分との距離がとれなくなるほどに。
    フィネガンズ・ウェイクの柳瀬訳みたいに造語とかルビとか使ってがんばらなくても、ふつうの文章で、ここまで高密度な描写は実現可能なのである。種のない手品でも見せられているかのようだ。あるいは、見かけの質量と実測した質量とがどうしても釣り合わない、不思議な物体。でも文章はふつうなので、最後まで無理なく読める。

    楽園の鳥』はファンタジー小説である。
    基本的な枠組みは「異世界への旅」であり、ファンタジーの本質をそのまま体現している。それも、とびきり激しい旅だ。(『指輪物語』も『はてしない物語』も真っ青だ!)作品世界には、超常現象も、作家の創造したアイテムも出てこない。それなのに、ただ旅を続けるだけなのに、主人公の行く手には幻想世界が流入し、周囲の人たちもろとも、押し寄せる波に否応なく巻き込まれていく。現実世界と幻想世界とのあまりに激しい往還運動に、登場人物は次々と脱落し、主人公は、手に汗握った読者にハラハラしながら見守られることになる。まさに冒険ファンタジーの王道まっしぐら。
    さらに作中作として、主人公の童話作家が執筆中のファンタジーが二篇、入っている。ファンタジー好きなら、『楽園の鳥』を読んで楽しめないわけがない。

    さらに、恋愛小説、山岳小説、食べもの小説、紀行小説、その他の要素が、これでもかというほど多層的に織り込まれている。作品全体を俯瞰してもいいし、どれかの要素に注目して読んでもいい。すばらしく複雑精妙で、読み方しだいで何度でも別の楽しみ方のできる、一冊で何度もお得な小説だ。

    お得といえば、装丁もすばらしい。カバーから見返しにわたるワイドな領域に、門坂流のすばらしい銅版画が三点、美しく再現されている。「きらびき」という高級用紙に、特別に手のかかるUV印刷という技法で、単色の原画をあえて四色で刷って深みを出している。美しい作品を生かすため、カバーからはタイトルも著者名も、バーコードさえも排除された(題字等は背表紙にのみ残されている)。装画を手に取って鑑賞する楽しみだけでも、この本を買う価値があるぐらいだ。

    本好きを自認する人、ベストセラーしか読まない人、どんな人にも自信を持っておすすめできる傑作だ。